木暮山人書 色紙

令和4年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される、木暮山人書 色紙
木暮氏が岐阜本郷町の旧大夢舘に来訪された際、揮毫されたもの。氏は父君から親子二代の三上門下。山人の名前も三上先生が名付け親である。日本歯科医師会から参議院議員に出馬、二期務められた。氏は無類の中国・ベトナム通で、小沢一郎や二階俊博に中国人脈を繋いだ人物。今となっては、この人選は大きな誤算であったと言わざるを得ない。
木暮山人書 色紙

四元義隆書 扁額

令和4年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される、四元義隆書 扁額
花房東洋が直接、四元先生にお願いして二幅揮毫して頂いたもの。一幅はマレーシア興亜青年道場にある。先生は東大生のとき、五・一五事件に連座。戦後は中曽根康弘・細川護煕ら時の首相の指南役として、政財界に大きな影響力を持たれた。
四元義隆書 扁額

五・一五事件出所直後の三上(右)と四元

齋藤兼輔書 色紙

令和4年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される、齋藤兼輔書 色紙
大津膳所の義仲寺住職・齋藤兼輔(石鼎)師は、三上先生の句集「無韻」の解説や連句の泰斗として有名だが、影山庄平翁と深い交友があり、大東塾十四烈士の集団自決の後始末をされたことは余り知られていない。
齋藤兼輔書 色紙