「「青年日本の歌」史料館」カテゴリーアーカイブ

五・一五事件の際に三上卓先生が使用した拳銃(複製)

令和5年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される五・一五事件の際に三上卓先生が使用した拳銃のモデルガン。コルト社製の「コルトM1903」というモデルで、戦前は国内で軍・民間問わず広く流通していた。

三上卓先生 愛刀(複製)入魂祭及び執行部会議

 令和4年開館予定の「青年日本の歌」史料館に展示する三上卓先生の愛刀の精密な複製を刀鍛冶に製作してもらい、完成した刀の入魂祭を令和3年10月30日、岐阜の大夢舘において厳粛に斎行いたしました。
 その後は、来年の昭和維新顕彰祭「大夢祭」について会議を行いました。五・一五事件から90年の節目を迎えるにあたり大夢舘では神事だけでなく講演会、討論会を開催することが決まりました。これから令和4年5月15日に向けて準備が始まります。
三上卓先生 愛刀(複製)

三上卓先生 愛刀(複製)入魂祭

三上卓先生 愛刀(複製)

令和4年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される、三上卓先生 愛刀(複製)
愛刀の実物は、伊藤元舘主が個人所有としているため、京都・東山堂で実物の写真を基に複製を製作して、史料館に展示することにした。この複製刀は令和3年10月30日、大夢舘祖霊社において、三上卓先生の御霊を入魂する式を斎行した。
三上卓先生 愛刀(複製)

三上卓作 木像「祖母よし子刀自」

令和4年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される、三上卓作 木像「祖母よし子刀自」
三上先生のご祖母が重態となられたとき、先生は五・一五事件により小菅刑務所に収監中であったが、三日間の刑の執行を停止され、病床を見舞われた。そのご祖母への想いが、この彫像に込められている。
これは、三上一統の高弟であった故・吉野詮氏が三上先生の愛刀と共に保管されていたもので、大夢舘第三代舘主の伊藤好雄に預託され、大夢舘で保管していた。
三上卓作 木像「祖母よし子刀自」

木暮山人書 色紙

令和4年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される、木暮山人書 色紙
木暮氏が岐阜本郷町の旧大夢舘に来訪された際、揮毫されたもの。氏は父君から親子二代の三上門下。山人の名前も三上先生が名付け親である。日本歯科医師会から参議院議員に出馬、二期務められた。氏は無類の中国・ベトナム通で、小沢一郎や二階俊博に中国人脈を繋いだ人物。今となっては、この人選は大きな誤算であったと言わざるを得ない。
木暮山人書 色紙

四元義隆書 扁額

令和4年設立予定の「青年日本の歌」史料館に大夢舘から寄贈される、四元義隆書 扁額
花房東洋が直接、四元先生にお願いして二幅揮毫して頂いたもの。一幅はマレーシア興亜青年道場にある。先生は東大生のとき、五・一五事件に連座。戦後は中曽根康弘・細川護煕ら時の首相の指南役として、政財界に大きな影響力を持たれた。
四元義隆書 扁額

五・一五事件出所直後の三上(右)と四元